ちょっと真面目に。
今日、注目していた法案が可決された。
15歳未満の子供に対する臓器移植を可能にする、臓器移植法A案。
D案までの4パターンが提出されていたが、本法案では、15歳未満の子供もそれ以上の年齢の大人も
1. 脳死と判定され
2. 家族の同意があり、本人が拒否しなければ
臓器移植が行われることが可能となる。
尚、現行法では、生前に臓器提供意思表示をしていた人だけが臓器提供対象者となっているが、それが撤廃され、医師の脳死判定が提供対象基準となるところも大きなポイントであろう。
正直、私はD案が良い(臓器提供対象者は現行と同様、生前に提供意思を表示していた人だけ、年齢制限のみ撤廃。15歳未満は本人の拒絶がなければ家族の同意で提供可能)と思っていた。A案では、臓器提供対象を医師判断にすべて委ねることとなり、医師の負担があまりにも増えてしまうと思っていたからだ。
私は未だに独身で子供もいない。だからこそ言えることだ、と言われてしまうかもしれないけれど、高校時代父を亡くしてからずっと考えてきたことは、「意識がなくなってただ呼吸するだけの状態になって、無理やり生かしてもらいたくはない」ということである。この件については珍しく昔から母ともずいぶん話し合いをし、お互いに納得した上で臓器移植カードに署名しあい、アイバンクへも未成年の時から登録を済ませている。
人の生死観というのは個々人で違って当たり前で、押し付けるつもりは全くない。心、というとき、人は心臓を意識する。脳以外の臓器が意識を持つという事例も、無いとは言えず、人間の意識核の部分が脳に集中していると断定するのは早計だという意見も聞いたことがある。感情論に走りがちな私自身、あまり脳の存在を意識することはなく、それより心の問題、という感覚も根強い。
正直、脳死におびえる人は多いだろう。自分の意思を表現できなくなること、その意思すらない世界で、ただ呼吸だけを続けることに生きる意味を見出す自信がある人は、あまり多くないのではないだろうか。だからこそ、真剣に自分の生を考え、もしそうなったときにどうしたいか、他人の生に協力したいと考えるか、それともそのまま黙って永遠の眠りにつかせてほしいと考えるか、を事前に考えることは、それこそ生命保険をかけるのと同様に大事なことだと思っている。なぜなら、これは自分だけの問題ではなく、残された親族に迷惑がかかるのが明白な事実だからだ。
日本人特有の、遺体に対する感覚もある。生粋の日本人気質を自認する私には珍しく、この点だけはあまり私自身はこだわりがない。自分の意識が消えた後、解体されても人の役に立つならまぁいいか、といった感覚であるが、遺体が「辱められる」という感覚も、わからないではない。
だからこそ、こういったことに元気な時にこそ目を向け、自らの意思表示をしておくことが大切だと考えてきた。日本人は自分の考えを口にし、表明することが苦手だと言われる。だからこそ簡単なカードがあり(大きな病院の専門窓口でしか配布していなかった高校生のころと違い、今はさまざまなところでこのカードを見かける)、インターネットでも簡単に手続きが取れるようになっている。(あ、更新したんだった・・・母にサイン貰ってこないと。)
自らの子供が思わぬ事態で脳死状態と判定される人の中にも、この状態がずっと続くのならば元気になれる可能性のある子供に生かしてほしいと心の底では思っているけれど、自分でその決断を下すことには抵抗のあるご家族は多いのではないかと思う。そういった方々に、本法案は救いの手を差し伸べることになるのは事実だが、それを無条件に医師の判定という他人の判断で行うことには抵抗のある人も多いだろう。私自身、こういうことは自分の意志で決めたいと思う。
また、他人の判断による臓器提供ということには、一部から問題提起がされているように、犯罪に今後発展してゆく可能性も否めない。
最近の教育事情はわからないのだが、学校でこういったことの討論、議論がされる場はあるのだろうか?職場にカードを置き、身近な問題として考える環境を整えている場は果たしてどの程度あるのだろうか?
小児医療にとっては大きな前進となった本法案だが、今後の本決議に向け、より活発な意見交換が交わされることを願ってならない。
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